私達の思い


子ども達が世界で活躍できる沢山の環境を整えてあげたい。ただそれだけが出来たら良いと思う。

そこは、テクノロジーを学ぶ場だけではなく、人として大事な感情や思いやりを持ち、自分で考え解決できる能力をみんなで育てていく場所。

そのような環境を作り守っていくことは、子供だった大人たちの努めだと私達は思う。

子供だった自分を思い出しながら。


人はことあるごとにいろいろな問題に直面して、自分で判断しながら日常生活を送っている。
「今晩の夕食はどうしよう」、「誘いを断るよい理由はないか」などのように。
このような問題に際し、脳内でシナプスが連鎖しニューロンが発火しながら解決していく様は見事としかいいようがない。

ポリア教授が言うように、問題を解くということは水泳の練習のようなものかもしれない。
他人がどう手足を動かして水面に顔を出すのかを見て、自分なりに工夫して熟練していく。学習とは真似て習うことと知ったのは論語だったか。

問題を解くときも、前に解いたことのある問題や既存の知識を材料として出発することで、答のぶらさがる水面に顔を出すことができる。
そのような学習を経てシナプスが強固に連鎖し、夕食の献立や対人折衝をそつなくこなせるようになっていくのだ。

他方、コンピュータは問題を解くための道具にすぎないというが、問題を定義しシンプルに解決するために欠かせない杖だ。
その杖を使いこなすために必要な力が「課題解決力」であることに疑問の余地はない。社会に出るまでに身につけておくべき基本的な能力のひとつだろう。


課題解決力を育てるにはコンピュータサイエンス (Computer Science, CS) が適していると考える人はこの国ではまだ少ない。
残念ながら CS には気の効いた訳語がないが、国語・算数に肩を並べる重要な教育科目になるはずだ。
既に、CS がコンピュータを使いこなすための教育などではなく、課題解決力を養うために有効だと悟った国では小学校への導入を始めている。
IT という言葉でくくると本質を見誤り、周回遅れのランナーになることは自明だろう。

繰り返すが、自らの頭で課題を設定し解決する能力がこれからの時代を生きていく杖となる。
しかし、世の中に魔法の杖はないように、能力を一気に引き上げてくれる都合のよい道具は存在しない。
従って、できるだけ早い年齢からCS教育を提供し、現実の問題を確実に解ける人材を育てる場が必要となる。

これもポリア教授の言葉だが、自分を戒め新しいシナプスの連鎖を促すためにも常に頭に留めておきたい。

ラスベリィのパイを食べたことがなければ、それを好きかどうかは分からない。